2016年冬レキップ掲載のベンゲル監督インタビュー Part5

(エミレーツでの良い一日とハイバリーでの良い一日は違うこともあるようですね?)

期待というものがより大きな役割を果たすようになっている。哲学的にいえば、人の望むものと持っているものが一致していること、というのが幸福の定義だ。そして求めるものはそれを手に入れた瞬間にかわってしまう。もっともっと。より良いものを、とね。そしてやがて満足するのは難しくなってしまう。4位でシーズンを終えるアーセナルファンは"20年間ずっとトップ4だ、優勝したい!"というかもしれない。
彼らはマンチェスター・シティやチェルシーが何百億円も投資していることなど気にかけはしない。単に彼らをやっつけてやりたいのさ。しかし、もし2年間15位だったら4位でシーズンを終えることはとても幸せになるだろう。

(忍耐が足りないかもしれないのはファンだけではないようですね。ティエリ・アンリがスカイスポーツでアーセナルは絶対に勝たなくてはいけない。絶対に今シーズン優勝しなくては、といっていました。)

”絶対”という言葉は死に対して使うことが出来る。我々はいつか”絶対に”死ぬ。私は絶対にしなくてはならないではなくて、~したい、という言い方を好む。しなくてはならない、のではなくてしたいんだ。もし君が私に今夜出かけなくてはならない、といったとしたらそのせいで私は少し外出したくなくなる。もし君が、出かけたいかい?と聞いたとしたら、私はああ、したいとも、と答えるだろう。これが人生は愛すべきものである理由だ。私が”絶対にしなくてはならない”ことなど何もないはずだ。

私に言わせれば、スポーツの美しさというものは誰もが勝つことを望んでいて、そして勝者が一人しか生まれないことに集約される。20人の億万長者がイングランドでプレミアリーグで戦ったとしても、チャンピオンは一人で、残りの19人は落胆することになる。

祖父は私に"わからんな。100mを一人は10.1秒で走り、違うやつは10.2で走る。二人ともすごく早いじゃないか。こんな競争に何の意味があるんだ?"といっていた。現代において我々は10.1秒で走った選手の栄誉を称え、10.2秒の選手を2番手と評価する。もちろん彼らは二人とも早いのだが、これはスポーツにおいては危険な考え方だ。我々は方法やそこまでの道のりと関係なく勝者を称える時代に生きている。10年後に一番手の選手が不正を働いていたということがわかったとしよう、そのあいだじゅうずっと二番手の選手はずっと苦しみ続けるんだ。ふさわしい名誉を与えられずにね。これらのことを考えると彼らには不幸せになる理由があるように思える。

(フェアプレイの重要性を説かれましたが、そういった意味ではあなたは真の英国紳士といえるでしょうか?)

私はいつもフェアにプレーしてきたわけではない。誰もが勝利への欲求と敗北への憎しみを持ち合わせているものだ。そのせいでフェアでいるよう努めるのに何度も苦労した。それに関していえば、イングランドで無敗優勝を成し遂げたのは今までに私一人だ。しかし、イギリスの人々はフェアプレイに関してより特別な思いを抱いているように見える。
グループステージで、ホームで敗退した(イングランドの)ラグビーチームを見ればわかる。彼らはピッチを去るときにオーストラリア代表のためにGuard of Honor(訳注: 勝者を称えるため等に選手が並んで作る花道のこと)を作る。そこには尊敬の念がある。それはどれくらい苦しく、屈辱的なことだろうか。しかしもちろん、それはスポーツのイメージにとってはとても良い。

私が相撲に関してとても良いと思ったのは、試合の後で勝った選手が喜びを見せないことだ。対戦相手に恥をかかせないようにね。私は敗北にとても苦しんだことがある。他の文化圏でのオーバーすぎる慣習に比べると、日本での文化や、イングランドの価値観は素晴らしいと思うね。

(自身の中で、決定的にイギリス人になったと思うような部分はありますか?)

イングランドは私の心の国だ。感情を表現することを恐れない。英語には"I love it!"という表現がある。フランスでは私たちの感情はデカルト的な考え方に曇らされている。こちらでは限界を超えて物事を"愛する"方法を知らない。我々はPSGのことが"好き"だがね。イングランド人は感情的に自身を開放する方法を知っている。

(多くのもとアーセナル選手が引退後のキャリアをイングランドで歩んでいます、ロベール・ピレスやパトリック・ビエラ、そしてティエリ・アンリのように。将来的にもずっとロンドンに残ろうと考えていますか?)

決めていないよ。確かに言えることは私のアーセナルへの愛情は私の人生の最後の日々まで残る、ということだ。放棄することを選べた瞬間もあったが(訳注: 他クラブからのオファーを受け入れるということ)、常にそれを拒んできた。今となっては他の場所での監督してのキャリアを考えることは難しい。

(確信がありますか?)

99%、ね(笑) もし明日朝アーセナルに別れを告げられらとしたら、監督業を続けることはないと約束することは出来ないね。しかし疑いなくイングランドにはいかないよ。

(監督する、のではなく教育する、という選択肢は?)

教育者でありたいという欲求が勝利への欲求と矛盾するような場所にはあるべきではない。そうなってしまうと、教育者というのは少しおろかに聞こえてしまうだろうね。いかなる監督にとっても、スタート地点は、教えることへの欲求であるはずだ。我々の仕事の一つの美点は人の人生の航路にポジティブな影響を与えられることだよ。

君も私と同じように私たちのことを信じてくれ、前に進む手助けをしてくれた人と出会っているはずだ。街は、才能があったものの、自身への信頼を育ててくれるような人に出会えなかった人であふれている。私は人の人生を助け、機会を与えることが出来る。

(そして試合中には対戦相手のベンチに座っている監督はどんな手段であれ結果だけを追い求めている監督が座っていることもありますね・・・?)

そういうときには私は純粋すぎるという扱いを受ける。どういったケースであれ、人が人生を生きるやり方は一つしかない。自身が大切だと感じる価値観を受け入れることだ。もし私がそういった価値観を尊重しなければ不幸せになるだろう。どんな時も私はある種の生き方を貫いてきた。良い側面もあれば悪い側面もあるがね。

(あなたのキャリアの中で、一つの瞬間を選ぶとしたら?)

ロンドンに来て、非常に懐疑的な目で見られた。それから初めのタイトルを獲得し、初めてのダブルを勝ち取り、"アーセン、って誰だ?"からイングランドで成功する初めての外国人監督としてパイオニアになれたことかな。

(苦しかった瞬間はどうですか?)

トップレベルでの保ち続けている一貫性にもかかわらず、一つずつの敗北の後で、成し遂げたすべてのことを疑われることだろうね。”全ては失敗だった”的な反応を受けることだ。達成したもの中に見出す喜びと受け入れ、耐えなくてはならないものの限界のバランスをうまくとらなくてはいけない。
こんにちでは、私の情熱を表現するためには、そういったものに耐え忍ぶ能力がより要求される。私が行うことの多くは私を苦しめるんだ。

(それがメディアから距離を保とうとする理由ですか?)

もちろんそうさ。君の知り合いの中に毎朝目を覚まして、"おお、50回くらい鞭打ちされたいな!"というやつがひとりでもいるかね?



(Source: http://www.getfootballnewsfrance.com/2015/arsene-wengers-entire-interview-from-lequipes-sport-style-magazine/)
(意味のわかりづらい部分を確認するために他の英訳や、原文のGoogle翻訳を参照したりもしています。)

最後は少し長くなってしまいましたが、以上になります!

個人的には、監督しての教育者としての側面を強調していたのがとても印象的でした。アーセナルを去っていく選手であっても監督を悪くいう選手がほとんどいないのもうなずけます。


もし全て読んでくれた方がいましたらありがとうございました。
またこれからは他の記事を投稿していこうと思います。



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Author:ろっしー
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Twitter: @gern3137

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